たちばなしNo.65
こうさんのひとり言
今日もまた空を見上げています。
すぐ上にはわた雲がいくつも浮かび、流れています。
そのはるか奥をうす雲が覆っています。
あのわた雲がわたしたちなら、そのむこうのうす雲はコロナウイルスか、なんてことしか浮かばない今の自分にがっかりしています。
あの雲の粒が大きくなると、上昇気流でも支えきれなくなり雨粒になって落ちてくる。
昔、その雨粒はどんな形かと聞かれて、
「植物の葉から滴が落ちるのをイメージして、アニメに出てくるような涙の粒の形」と答えたことを思い出しました。
その質問をした彼は、雨粒が見える実験装置を作ったと言って、それを見せてくれました。
その装置は、確か下から大きなファンで風を送り、落とした水滴を一瞬宙にとどめて、水滴の粒の形が見えるようにしたものだったと思います。
水滴は涙の形ではなく、つぶされた楕円のような形をしていました。もので例えると、そう肉まんかな。そんな形でした。
「下から風を送っているから押しつぶされているだけじゃないの。雨とは違うでしょ」
「実際には、この風のように大きな空気の抵抗を受けながら、雨は空から落ちてくるんだよ。だからこのファンの風は空気の抵抗の代わりだよ」
なるほどと納得した。雨は肉まんになって、あんまんの方がいいけれど、そうやって落ちてくるんだと感心したことを思い出した。
見えないものが見えるようになるということは面白い。
いまは見えないものが何でも見えるような時代になっている。
コロナウイルスだって見える。どんな形をしているのかテレビでその映像がたびたび流れるので誰でも知っている。
だが、知っているからどうだというわけではない。
知っていてもどうすることもできないでいる。
できるのは、それに近づかないことだが、肉眼では見えないので近づいていてもわからない。
ここに不安もあり、油断もある。
ウイルスが見えるメガネでもあれば、なんてことまで思う。
空に浮かぶ美しい雲も、ひとの中に潜む恐ろしいウイルスも、自然が創り出したものだ。これだけ科学が進んでも、自然の前にひとは傍観者でしかいられないのか。
そんなことをふと考えながら、きょうも空を見上げていた。
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