たちばなし No.77
こうさんのひとり言
昨日、
庭に女神がやって来た。
どんな女神かというと、
丸くて、小さくて、黒くて、赤い斑点が二つあるやつだ。
子どもの頃は、この女神のことをナナホシテントウに対して「二つ星テントウ」と呼んでいた。
いまでもそう呼んでしまうが、ナミテントウのことである。
この「二つ星テントウ」を見ると幸運がやって来ると言われている?
が、今日ここまででは、あいにく幸運は訪れていない。
どうしてこの「二つ星テントウ」だけがそう言われるのかわからない。
害虫を食べる益虫だからということであれば、ほかのテントウムシたちに失礼に当たる。
それにナミテントウは日本ではナナホシテントウと同じくらい生存する。
これを見かける確率は極めて高く、有難味にも欠ける。
もっともひとは、よいことならばそれが頻繁に起きたとしても有難くお受けする性質を有しているので、有難味にかけようが何だろうが、おみくじの大吉と同じで出れば何も考えずに喜ぶという生き物なのだ。
子どもの頃から、テントウムシを見るとなぜか気持ちがほっこりする。
丸くて、小さくて、かわいい。
色や模様がかわいい。
歩き方がちょろちょろしていてかわいい。
掌に乗せてやると、
トコトコトと歩いて指先まで行き、
ちょこっと羽を広げて飛び立つ、
その姿もかわいい。
とにかくかわいいのだ。
そんなかわいいという感情が大人になった今でも変わらないのは、テントウムシぐらいだ。
ところがそのテントウムシの幼虫はどうだ。
あんなグロテスクな奴はなかなかいない。
これをかわいいと言える人はなかなかいない。
この幼虫を手にしようとは思わないし、したこともない。
それが成虫になると、チョウのように変身して急にスターに成り上がる。
まさに一発逆転のドラマだ。
チョウと並び、昆虫界の成功者だ。
幼虫も成虫もアブラムシやハダニを食べてくれる、ひとにとっては益虫だ。
だが、アブラムシを食べているその姿を見るとまったく恐ろしい。
ムシャムシャとアブラムシを食いちぎる音が聞こえてきそうなほどの勢いで食べる。
もしテントウムシがひとほど大きかったら、猛獣よりも恐ろしい恐ろしい昆虫になるだろう。
ひとは次から次へと害虫を食らうこのテントウムシのどう猛さに目を付けた。
柑橘類を食い荒らす害虫を駆除するために、正義の味方としてテントウムシを雇い入れた。
案の定、彼らは「生物農薬」として大活躍を見せた。
ところがどうだ。
かれらは大人になると、雇ってもらったひとへの恩も忘れ、羽を広げてどこかに行ってしまうではないか。
人の目論見はここに潰えた、
かと思えたが、ひとの方が一枚上だった。
ひとは幼虫時に、かれらのRNAに干渉して「飛べないテントウムシ」を生みだすことを考えた。
かれらをあくまで飼い殺しにしようという作戦だ。
「君たちにとってここはエサが豊富にある天国だ。だから他へ行ってもここのような幸せは得られない。わたしたちなら、君たちにその美しさを残したまま無駄な羽だけを小さくしてあげられる。飛んでエサを探しにかなくても済むのだ。どうぞ一生ここでのんびり幸せに過ごしてください」
そうひとはうそぶいて、彼らを拘束しようとしている。
これで毎日、ナミテントウの二つ星が見られる。
そして毎日、
ひとに幸せが訪れる???
そのとき、ひとは「二つ星テントウ」を見て、かわいいと言ってほほ笑むだろうか。
温かいご声援をありがとうございます
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