先日、
「濃い目のカルピス」という清涼飲料水を飲んでいたら、
妻が来たので、
「もう一本冷蔵庫にあるから飲んでいいよ」というと、
「いいよ。濃いカルピス嫌いだから」と言うではないか。
「これ濃いから美味しいんだよ」と迫ると、
「その濃いのが嫌いなの。わたしは薄いのが好きなの」とおっしゃるではないか。
「カルピスは濃いから美味しいんだよ。こんなの薄かったら、シャビシャビのなんだかわからない気持ち悪い水でしかないよ」と言ってやった。
すると、
「それが美味しいんじゃないの」と、のたまうではないか。
なんだか、目の前で飲んでいる自分が変人のように扱われているような気がして、
「いやいや、カルピスは4倍ぐらいに薄めたものが美味しいんだよ。これがちょうどその味なんだよ」と、私が思い込んでいるカルピスの味の王道を伝えてやると、
「濃いのを飲むと、子どものころから喉のこの辺が気持ち悪くなるから薄いのが好きなの」と返された。
そんなことを言われると、これ以上戦いようがない。
ここで素直に引き下がることにした。
わたしの記憶では、カルピスは4倍に薄めるというのが正しい飲み方だったが、果たして本当にそうなのか気になったので調べてみた。
〇 カルピスは2.5~5倍に薄めて飲む
ほら、4倍ならおすすめの飲み方の真ん中あたりだからちょうどよいということではないか。
子どものころは貴重な飲み物だったので、5~6倍ぐらいに薄めて飲んでいた。冷蔵庫で氷ができるようになると4倍ぐらいにして飲むようになったとおぼろげに記憶している。
〇 カルピスの誕生は1919年(大正8年)
子どものころにすでに飲んでいたこのハイカラな飲み物はいつからあったのだろうか。
なんと1919年に僧侶出身の三島海雲というひとが造り販売したらしい。
当時としてはかなりハイカラな商品を、お坊さんが造ったというのは俄然興味をそそられる。
三島海雲は、1878年に浄土真宗本願寺派の寺の住職の子息として生まれ、現在の龍谷大学を卒業したのち、一時山口の英語教師として勤めたとある。
その後なぜか25歳で中国大陸に渡り、雑貨の販売や軍馬の調達などの仕事をした。
内蒙古にいるときに体調を崩し、そこで酸乳を飲み続けたところ回復に至った。このとき不老長寿の霊薬に出会ったと思い、帰国して乳酸菌飲料を作った。
簡単に創業者の生い立ちをまとめるとこのようになる。
なぜ教師を辞めて中国へわたったのか?
なぜ酸乳を不老長寿の霊薬とまで思ったのか?
なぜ海運は乳酸菌飲料を日本で作り出すことができたのか?
様々な疑問がわき出てくる。
機会があれば、もっと調べてみたいものだ。
さて話を戻そう。
わたしにとってカルピスは、贅沢な飲み物という印象が強い。
いまでは気軽にペットボトルで飲むことができるが、かつては瓶からグラスの底に数センチほど注いで、そこに蛇口から水を足すという方法でしか飲めなかった。
最後に瓶から垂れる原液をそっと指ですくってひとなめするのが好きだった。
その味は、濃縮された、栄養のある、美味しい薬のようだった。自分だけそれをなめることに、少しの罪悪感さえ感じていたほどだ。
そのカルピスの瓶は、白地に水玉模様の仰々しい紙の包みにくるまれていて、いちいちその紙をほどいて栓をひねりグラスに注ぐという手間のかかる贅沢な飲み物であった。
いまでもカルピスといえば水玉模様だが、ペットボトルのカルピスは、青地に白の水玉模様に変更されている。
そういえば以前ユーチューブで、フランス人にこのペットボトルのカルピスを飲ませて感想を聞いている動画を見た。
そこでは、おおむね美味しいと評判だった。フランスでも売れるかという問いに、大方のフランス人は売れると答えていた。
しかし、フランス人には、どちらかというとカルピスソーダの方が人気があった。日本でも若い人の間ではこの傾向は同じかもしれない。
遠い記憶の中にあるわたしのカルピスは、やはり贅沢な気分を味わえる濃いめのカルピスだ。
これを飲むと、子どものころの記憶が甦る。
そして、長らくこれが「初恋の味」だと信じていたことを。
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